2025.7.13
カンダハル 突破せよ
カンダハルとは、人口は約57万人のアフガニスタン第3の都市。
監督は「エンド・オブ・ステイツ」(2019)や「グリーンランド -地球最後の2日間-」(2020)のリック・ローマン・ウォー。撮影の大部分はサウジアラビアで撮られた。
カテゴリー:アクション
カンダハル 突破せよの映画情報
| 原題 | Kandahar | ||
|---|---|---|---|
| 制作年 | 2022年 | 制作国 | イギリス |
| 上映時間 | 119分 | ジャンル | アクション |
| 映倫 | G | ||
| オフィシャルWeb | https://klockworx.com/movies/kandahar | ||
| 監督 | リック・ローマン・ウォー |
|---|---|
| キャスト | ジェラルド・バトラー |
以下「カンダハル 突破せよ」の感想・評価・レビューの内容は、ネタバレを含む場合があります。
「カンダハル 突破せよ」をまだご覧になられていない方は、十分にご注意ください。
カンダハル 突破せよのあらすじ・ストーリー
イラン国内に潜入中のCIA工作員トム・ハリス(ジェラルド・バトラー)は、核開発施設の破壊工作に成功した直後、CIAの内部告発により機密情報が漏洩し全世界に正体が明かされてしまう。即刻ミッションを中止し中東からの脱出を図るトムが目指すのは、アフガニスタン南部のカンダハルにあるCIA基地。30時間後に離陸する英国SAS連隊の飛行機に乗らなければ、生き残るチャンスはない。イランの精鋭集団・コッズ部隊のほか、パキスタン軍統合情報局(ISI)も絶好の「金づる」になりうるトムの捕獲に乗り出し、さらに、タリバンの息がかかったゲリラ、金次第で敵にも味方にもなるウォーロード率いる武装集団など、トムの行く手にはさまざまな勢力が立ちはだかり、敵味方の入り乱れる壮絶な死闘へと追跡劇が繰り広げられるのだった。はたして執拗に襲いかかる敵の追跡をかわし、無事カンダハルに辿り着くことができるのか?
カンダハル 突破せよをみた記録
MI6工作員トムはCIAの要請でイランの地下核施設からウイルスを撒き散らすことに成功した。CIAはそこからシステムに侵入し核施設を爆破した。トムは任務を終えたのでロンドンへ戻ろうと空港に向かったが、ローマンから呼ばれて新たな任務を頼まれる。ロンドンへ帰国する大事な理由があったがトムは受けることにした。
トムはアフガニスタンへ向かい、通訳として入国したモーと合流。イランへ向かおうとしていたそのころ、ジャーナリストのルナはCIAの作戦を入手したが、その会話をイランに盗聴され、イランに拉致されてしまう。イランから尋問されたルナによって、先のイラン核施設を爆破したトムの存在が知られることになってしまった。
トムはイランから追われ、さらにトムを捕らえればイランに売って金になると考えたタリバンやパキスタンのISIもトムを捕らえようと動き出した。トムは追われる身となったため計画は中断。CIAとカンダハルで合流するため、トムは通訳モーといっしょに、カンダハルを目指すが、この窮地を突破できるのか――。
予想以上におもしろかったのでおすすめです。おわってみればアメリカ万歳映画なのだけど、まんまとアメリカってすんげ〜!ともらしてしまった。(製作はイギリスです!)とてもスカッとするので、おすすめです。
それほど荒れ果てていないし、こわい描写も少ないので中東とかのそれがすきなひとには物足りないとはおもうけど、ジェラルド・バトラーがバッチバチのアクションはぜんぜんありませんが、あの年齢でも確実にかっこよかったので満足度高いです。現実は比べものにならないくらいひどいものだとおもうけど、さすがにそういうリアリティーがあるとみれなくなっちゃうので、あたしにはこの程度がちょうどいい
そういう意味では映倫もGなので、まちがいなく目を覆いたくなるシーンはありませんから中東初心者も戦争映画(ちょっとちがうけど)初心者も安心してみていられます。
それはそうと、宗教戦争というのはまったくもって矛盾しかなく、どれだけ愚かなことか、神とはなにか、命とは、人間とは、生きることとは、愛とは、正義とは、と学ぶ日はいつ訪れるのか。教育がなされない国は永遠にこれを繰り返していくのか。終わりはないのか。いっそのこと、全員が死ななければ平和は訪れないのか。神は戦い血を流せ!と命じているとおもっているのか。
彼らの考えはなにひとつ知りえないが、夫や恋人が死んで涙を流したり、身内が危険な目にあって怒りを覚えたりという感情があるくせに、逆の立場となると思考を失くすのか、あたま空っぽのサルのようになってアッサラームアライクムといってすべてを神のせいにする。
宗教がわるいこととおもったことはたぶんなかったが、こういう映画をみると根絶したほうがいいんじゃないかと考えがでてくる。がまさにその考えが宗教戦争の当事者になりかねないし、残念ながら他人の信仰をパッと消すことも不可能だから、信仰を殺すことはぜったいにできないわけだ。
とにかくかなしいし、とにかくかわいそうだ。支配や金のためにできたかもしれない信仰を、立ち止まって考えることができない生き物に生まれたことを、どうにも救えないことが残酷だ。
あたしにとっては、とっても簡単な問いだけど、彼らにとっては生と死であって、切っても切り離せなくて、むしろ切り離す権利ももっておらず、主ではない者からえた本当かどうか一切わからない主の考えのとおりに生きることがどういうことかすらわからないわけだ。何百年も何千年も進化せず、何者にもならない人生だということにいつ気がつくんだろうか。
こうして映画のネタにされていることも、いつ気がつくのだろうか。そのネタをみて、現代の化石のように太古の昔から何も変わることなく生きる動物のようだとおもわれていることにいつ気がつくのか。世界が前に進んでいることにいつ気がつくのか。人と人とのあいだに隔たりや差別を残して、それが愚かなことだととうの昔に気づいて平和を見出そうとしている世界にいつ気がつくのか。唯一の望みである教育も絶たれた国は、思考が再開されることはないし、希望が絶たれたということです。あたしたちは檻の外からその動物の遅すぎる、というか一歩も進まない、乱暴者たちを眺めていることしかできないわけだ。
なににも頼ることができない、なににもすがることができないひとにとっての、唯一の拠り所として支えとなるものが信仰の意義とおもっていたが、もしや信仰をつくり出した最初って、この世でもっとも重い罪なのではないか。とはいえ救われた者もいるし、そういうおまえも神社に参詣するし、墓にも入るだろ?といわれるだろうが、もはや土地の慣習だ。商売が多いに絡んでいることも理解しているし、おなか痛いときに助けを求めたりお願いすることも気休めであることを知っている。それに、神道や仏教に教えを押し付けられたことはない。あまりにも生活に根付きすぎて、ふだん使う言葉、自然な思考や無意識の言動すべてに仏教が根本にありすぎるが、あたしのルールで生きていけている。神道や仏教に人生を指図されたことはない。
こんなにタラタラと書く気はなかったが、非力だと認めないやつらに、やたらと怒りが止まらないんだよ。怒るだけエネルギーの無駄だけども、地球上のがんを(もちろんほかにもたくさんあるが)排除できないもどかしさが、なぜかいま、あたしがドンッと背負ったような気もちになって怒りが込み上げてきているわけ。世界に人間を殺す道具が必要なはずないでしょ?






