2018.4.3
アメリカン・バーニング
ユアン・マクレガーの長編監督デビュー。フィリップ・ロスの「American Pastoral」を映画化したもの。
アメリカン・バーニングの映画情報
原題 | American Pastoral | ||
---|---|---|---|
制作年 | 2016年 | 制作国 | アメリカ |
上映時間 | 108分 | ジャンル | アメリカ |
映倫 | G | ||
オフィシャルWeb | http://he.sonypictures.jp/he/2241882 |
監督 | ユアン・マクレガー |
---|---|
キャスト | ユアン・マクレガー |
以下「アメリカン・バーニング」の感想・評価・レビューの内容は、ネタバレを含む場合があります。
「アメリカン・バーニング」をまだご覧になられていない方は、十分にご注意ください。
アメリカン・バーニングのあらすじ・ストーリー
高校を卒業してから45回目の同窓会に参加したネイサン。久しぶりに再会したジェリー・レヴォヴ(ルパート・エバンス)から、かつて人気者だったスウィードことシーモア・レヴォヴの顛末を聞いた。
スウィードは父の手袋製造会社を継ぎ、ミスニュージャージーの妻ドーン(ジェニファー・コネリー)と結婚、吃音症を抱えるも明るくやさしい娘メリーと3人で暮らしていた。
しかし、1960年代に入ると娘メリー(ダコタ・ファニング)は反戦活動にのめり込むようになる。ついには、郵便局を爆破したテロ犯人の容疑までかけられる。と同時に、メリーは行方が分からなくなった。
アメリカン・バーニングをみた記録
こんなに悲しい映画は久しぶりだ。
最後の最後まで、どう表現したらいいかわからない気持ちにさせられる悲しさだ。
いつだか、子どもを持つだれかに聞いたことがある。
母親にとって娘はいずれライバルになるんだって。
ライバルという表現は、本来の意味とはちょっとちがうニュアンスだろうけど、そんな話を聞いたことがある。でも別の角度でみれば、娘の父親が愛する娘はちょっとしたライバルになるのかもしれないけど。
中盤まで、少しそんな意味と、母親ドーンの美しさが仇になるという話なのかと思ったらそうではなかった。
子育てってどんな時代でも大変なものなんだろう。あたしは未婚だし当然子もいない。
だから子育ての困難はまったくもって分からないけど、誰にでも訪れる反抗期の最悪のケースがこの映画な気がした。
女性は母親になると強くなると聞くけど、ドーンのような母親も少なからずいるんだろう。わかんない、たくさんいるのかもしれない。
娘がいなくなる不安に負け、母親はどんどん落ちていき、終いには娘を諦めるという判断に至る。私的なことを言えば、ここまでの最悪の反抗期はなかったにしても、あたしの母親はあたしがどんなに落ちようと見捨てる選択はしないはず。
だからどんなに辛い状況であっても、娘を諦める判断をした母親ドーンが最後まで最低の母親だったと思う。彼女の場合、”美しさ”がなければという意味不明な被害妄想まで持ち出し、さらには夫スウィードすら憎むようになり、精神を患った。どんどん衰弱していってしまったということなのかもしれないけど、力強くずっと娘を探し続けた夫の横で常に支えてもらってばかりのバカな母親は、まさにお前のせいでメリーが落ちていったとしか思えなかった。
父は死ぬまでメリーを想った。自分が作った娘だから、一生離さないと決めた娘だから、暴動が起こる時代でも、妻が衰弱していっても、妻が整形し出しても、妻が不倫しても、娘を守る父親として死ぬまで責務を全うしようとした。
そこにはまさに愛しかない。誰も立ち入ることはできない、血縁関係を超えたもっと強い結びつきがそこにはあった。
きっと妻ドーンが不倫していることを知ったとき、悲しみや腹立たしさよりも、”妻に手をかけなくても大丈夫になった”というような安堵の感情だったんじゃないかと思うわ。
美しい女が蘇って、人間の男とイチャつける元気を取り戻したんだから。
スウィードとドーンの関係については、最後まで何も語られなかったけど、二人は離婚せず、いわゆる仮面夫婦でいたんだろう。
女というのは本当にバカでスケベで、自分のことしか考えていない生き物だな。
言ってしまえば、あのバカな母親のせいでそうなったとは言え、娘メリーもまさにそれだ。
結局は自分の信じるものだけのために生きる選択をするのだから。自分ひとりでこの世に生まれてきたかのように。素晴らしい父親を持っていることも考えず、しあわせが何かも分からないバカが世界の平和を願うなと言いたい。
安い言葉しか出てこないけど、こんな父親かわいそうすぎる。
こんな立派な父親が、夫がいるにも関わらず、不幸になってしまうのって、何が間違いだったのか。愛は本物なのに、何が間違いだったのかを知りたい。
メリーの吃音症だけが原因だとしたら、すごく安心するんだけどそれも謎のままだ。
ラスト、スウィードの葬儀の終わり、ひとりの謎の女性が棺に向かっていくシーン。
母ドーンも気づいた表情をしていたが、棺の前で映画を終わらせる演出はユアン・マクレガー監督のアイディアなのか、脚本を書いたジョン・ロマーノなのか。あれはとてもにくい演出だね。
あたしがスウィードみたいな男性と結婚して家庭を築いて子を育てて同じお墓に入るのなら、きっとしあわせだと感じそう。