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評決のとき
原題:A Time to Kill

評決のとき

ちまたでは評価の高い「評決のとき」(1996)。意外にも賞レース系は、第54回ゴールデン・グローブ賞でサミュエル・L・ジャクソンが助演男優賞にノミネートしたくらい。
なんなら、第17回ゴールデンラズベリー賞で100億ドル以上の興業収入を上げた作品でのワースト脚本賞を受賞しているくらい。
黒人差別のテーマは、あたしたち日本人が思っている以上にデリケートで根深い問題だから、きっと「評決のとき」(1996)は軽くとらえられたような印象になってしまったのかもね。

評決のときの映画情報

  • 1996年制作
  • 150分
  • アメリカ制作のドラマ映画
  • 映倫(-)
監督
ジョエル・シューマカー
キャスト
マシュー・マコノヒー
サンドラ・ブロック
サミュエル・L・ジャクソン
ケヴィン・スペイシー
オリヴァー・プラット
チャールズ・ダットン
ブレンダ・フリッカー
ドナルド・サザーランド
キーファー・サザーランド
パトリック・マクグーハン
アシュレイ・ジャッド
クリス・クーパー
ジョン・ディール
ニッキー・カット
アンソニー・ヒールド
ジョナサン・ハダリー
オクタヴィア・スペンサー
トニー・スチュアート
ダグ・ハッチソン
カートウッド・スミス
ベス・グラント
評決のときのネタバレを含む場合があります

以下、「評決のとき」の感想・評価・レビューの内容は、ネタバレを含む場合があります。
評決のとき」をまだご覧になられていない方は、十分にご注意ください。

評決のときのあらすじ・ストーリー

ある日、ミシシッピー州のとある街で10歳の黒人の少女が白人男性2人にレイプされた。犯人の男たちは逮捕されたが、少女の父カール・リー・ヘイリー(サミュエル・L・ジャクソン)は、2人が連行されるところを射殺し、逮捕された。
カールの弁護を担当することになったのは、知人のジェイク・タイラー・ブリガンス(マシュー・マコノヒー)。一方、州知事を狙うやり手のルーファス・バックリー(ケヴィン・スペイシー)が検事に決まった。
黒人差別が激しい公平ではないこの地での裁判がはじまった。ジェイクは真っ先に、不利な状況を少しでも変えるために裁判地の変更を申請するが、バックリーの根回しがあったからか裁判長は却下。陪審員に選出されたのはすべて白人、変わらずジェイクとカールにとって不利な裁判は続くが...。

評決のときの感想・評価・レビュー

ある日、ミシシッピー州のとある街で10歳の黒人の少女が白人男性2人にレイプされた。犯人の男たちは逮捕されたが、少女の父カール・リー・ヘイリーは、2人が連行されるところを射殺した。連行していた警官ルーニーも跳ねた弾が膝にあたり左足を切断した。

カールは逮捕され、彼の弁護を過去カールの兄を弁護したことで知人だったジェイク・タイラー・ブリガンスが担当することになった。

一方、州知事を狙うやり手のルーファス・バックリーが検事となり、裁判長はバツクリーとつながりのあるオマー・ヌースに決まった。

レイプされた娘の復讐だとしても殺人は罪、特に黒人への差別が厳しい時代背景もあり、裁判は難航を極めた。第一回目の裁判で、ジェイクは黒人差別が激しいこの地での裁判は公平ではない理由から、裁判地の変更を申請するも、バックリーの根回しがあったからかヌース裁判長は却下した。結果、陪審員はすべて白人が選出されることになった。

ジェイクひとりでは大きすぎる事件に手を貸したのは、ジェイクの友人で離婚専門の弁護士ハリーと、ジェイクの恩師で現在は弁護士免許を剥奪されたルシアンと、死刑制度撤廃を推奨する法学生エレンだった。

次の裁判まで時間のないなか、ジェイクたちはカールの心神喪失による無罪を主張する材料を探していた。そんななか、レイプ犯の一方の弟フレディは、目の前で兄を殺された恨みと白人至上主義の考えから、KKK(クークラックスクラン)に入会し、KKKの協力を得て、黒人のカールを助けるジェイクたち白人への暴動をはじめた。

ジェイクは家族に危険がおよぶことを懸念して、妻子には実家へ帰らせたが、フレディたちKKKの暴動は日に日にエスカレートし、ついには死亡者も出て、ジェイクの家も焼かれてしまった。さらには、エレンがKKKに帰路を襲われる事件も起きてしまった。

裁判の方は、これといった決定打がなく最終弁論の日を迎えた。もう手立てがなく、負け目前であったが、ジェイクはカールに、黒人の味方をしているようで、しょせんジェイクも頭のなかは黒人を人間としてみていないと言い放ち、ジェイクはなにか吹っ切れたように最後の弁論で”法律”ではなく、陪審員の心に訴える弁論をした。

結果、見事にカールの無罪を勝ち取ることができ、仲違いしてしまったカールとジェイクの絆も取り戻すことができた。

 

 

 

日頃、差別を目の当たりにしないこの環境で生きているあたしには、すべてが衝撃的な白人至上主義の世界の話。いろんな映画でKKKの存在や黒人を人間として扱わない、不条理で不道徳な話をテーマにしているけど、「評決のとき」(1996)もまたおなじく重いテーマだった。

この話では復讐した黒人の父親が無罪を勝ち取ったけど、だからといって差別が解決したわけでもないし、結果としてきっとKKKのような団体がまたさらに会員を増やしていたり、黒人を憎む白人が増えていたりと、考えるだけで恐ろしい。

とはいっても、”みんな平等”になるにはこの事件の判決が無罪になることがいかに大事な一歩だったか。それに尽力した白人たちがどれだけ血を流したか、家族を危機にさらしたか、他人を巻き添えにして傷つけたか、なにか時代が変わるときはいつだってなにかが犠牲にならなきゃいけないらしい。革命家ってのはすごいヤツだけど、心を氷みたいにしなくてはやっていけないんだろうな。

 

みている人間へ訴えかけるメッセージ性は非常に高くて、それゆえにエンターテイメントショー的な見方になって、泣かせるためだろうと思ってしまうところもあるけど、でもエンターテイメント色で、多くの差別を知らない人間がこの映画をみて心を打たれるなら、それはきっと世界にとっていいことに変わりはないよね。ま、これは映画というよりも平等であるべき世界への賛同としての広まったほうがいいじゃん、て気持ちだけど。

“映画”として評価をしなくちゃいけないプロのひとたちからしたら、みえみえなエンターテイメントに仕上げていてなんかイヤ〜という声がありそうだけど。

 

それならひとつ、あたしも言いたい!

ジェイクはなぜ、あれだけ多くの犠牲者が出ているのに無防備なのか。KKKの存在も、もうそんなのいるわけないと最初は能天気だったけど、さすがにあれだけ周囲の人間たちが傷ついていたら、もうすこし危機感を持たないと。家を空けて酒を飲むのも、若い女をひとりで帰らせるのも、脅迫電話がかかってきた秘書になにもしないのも、さすがに無責任すぎてムカつく。

なんなら、妻が実家にいるのをいいことに、一瞬でも若いエレンに鼻の下を伸ばしたことは頭がおかしいんじゃないかとおもう。

残念ながら、ジェイクという弁護士は、最後の弁論で心に訴えかけるストーリーを語ったけど、それ以外は特になにもしていないような気がする。というより、カールの弁護を”やめなかった”というのが正しい気がする。それが若輩者の彼の正義のひとつだったのはわかるけど、なぜか腑に落ちないのは、ジェイクはカールの弁護を最後まで諦めなかった理由が、カールに同情したからに過ぎず、黒人差別を払拭したい活動でもないし、裁判という絶対公平であってほしい場所が、バックリーみたいな己の利しか考えていないやつらの手がおよんでいる法もクソもない場所になっていることを救いたかったわけでもないし、彼はいったい、なんのために裁判を続けていたかの気持ちが伝わってこなかったからかもしれない。

 

役者たちそれぞれが迫真の演技ですばらしいと思うんだけど、ジェイクという男がなかなかいいやつに思えなくて、それがたぶん腑に落ちない。

さらには、法学生エレンの存在もイマイチだった。色気をプラスしたかったのか、べつに離婚専門弁護士のハリーがひと肌脱いで力を尽くしたってストーリーでもよかったようにおもうけどな。

ところどころ、おもしろくするための映画づくりが漏れてしまっている気がして、ナンセンスだななんてな。

 

いまだってある差別、だれにも優劣はなく、おなし人間だって地球上のすべての人間が考えられるのはむつかしいのか。超簡単だとおもうんだけどな。

ん〜でもあたしも差別しているかな、アジアを恥じるときもあるし、黒人白人に憧れることだってあるし、黄色をイヤだとおもったこともあるし。

 

そうではなくて、黒人が嫌いだとか黄色人が嫌いだとかじゃなくて、差別するな!とかでもなくて、わざわざ気にしなくてよくない?てかんじ。

 

 

そういえば、サザーランド親子の共演はちょっと笑っちゃうね。おなしシーンってあったかな、なかったような。キーファーはよくわかんないけど、父ドナルド・サザーランドの落ち着きようったら。

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