2018.4.21
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ
制作には10年近くかかって、やっと1984年に公開されたセルジオ・レオーネ監督の遺作だって。遺作にして最高傑作と言われているんだって、それは一度は見てみたいよね。その証拠に、英国アカデミー賞でいくつもの部門でノミネートされて、作曲賞と衣装デザイン賞では受賞してる。ついでに、この年の日本アカデミー賞でも外国語作品賞を受賞してる。
あたしが生まれた年に公開されたこの映画、すごいんだね〜。と同時に、女性の価値が非常に低かった時代。悲しいね〜。
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカの映画情報
原題 | Once Upon a Time in America | ||
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制作年 | 1984年 | 制作国 | アメリカ |
上映時間 | 205分 | ジャンル | ドラマ |
映倫 | - |
監督 | セルジオ・レオーネ |
---|---|
キャスト | ロバート・デ・ニーロ |
以下「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の感想・評価・レビューの内容は、ネタバレを含む場合があります。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」をまだご覧になられていない方は、十分にご注意ください。
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカのあらすじ・ストーリー
ニューヨークを舞台に、ヌードルス(ロハート・デ・ニーロ)と仲間マックス(ジェームズ・ウッズ)たちの半生を描いた映画。
ヌードルスが何者かに追われるシーンからはじまり、仲間を裏切ったヌードルスは街を出た。それから35年、ヌードルスの元へ何者かからパーティーの招待状が届く。ヌードルスは35年ぶりに街へ戻り、これまでを振り返る。そして、じぶんを招待した人物とは誰なのか…。
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカをみた記録
3時間以上に渡る長丁場、10分くらいの休憩を2回挟んでみおわった。疲れた気持ちはないけど、清々しい気持ちでもない。多少なりとも解釈がむつかしいところがあって、はっきりと多くを語ろうとしない、まさに”ヌードルスの映画”だった。
時代は1920年ころ。ピンとくることはひとつもないけど、今から100年前と思うと結構おどろく。
街のチンピラ少年の半生を綴った映画。激動の時代のようだったけど、禁酒法を除くと激動な感じは特になく。子どもたちが盗みを働かないと生きていけないというだけで激動なんだけど、政治的な絡みが少ないためか、子どもたちのひもじさは感じなかった。
ただ、昔の映画の苦手なところ”汚いこと”。特に外国のトイレってのはみるのもイヤで。昔「トレインスポッティング」でユアン・マクレガーがトイレでラリってるシーンをみてからのトラウマ。
それがあって、激動だか貧困だか知らないけど、トイレだけはキレイであってほしいと心配しながら、少年期のトイレで覗き見やペギーを誘うシーンみてた。セーフだったけど。
そう、貧富の差が大きい時代、チンピラ少年たちはじぶんたちで考えて、大人を騙して金を稼ぐことを生業にしていた。
チンピラ少年たちは不思議なことに、みんな金のある家をバカにするような悪態はなく、酔っ払いから盗んだり、バカなやつを相手にしていた。
なんなら、繁盛店の息子モーとは大の仲良しだもん。
だからといって盗みは良いわけがないので、もちろん悪い子だよ。
時間軸が切り替わるので、最初のほうだけ頭のなかで揃えるのに苦労きたけど、特段むつかしいこともない。
キャスティングはすごく似せて作ってるし、特徴的でもあるから、だれがだれと一目でわかる。むつかしかったのは女性の方でキャロルとイブがそっくりで2回アタフタした。
冒頭、ヌードルスがマックスたちを裏切り、追いかけられているところからはじまる。だれに追われているかはこのときは分からなかったけど連邦準備銀行を襲う計画に賛成していたマックスの息がかかった奴らしかない。後半になって腑に落ちたところ。
まだ登場人物を把握していなかった段階で顔が潰されて誰だか判断つかなくさせる手はにくいね、後になって効いてくる系がたくさん施されていた。
その後、ヌードルスは街を出て35年後、見知らぬ人物から招待状が届いたことで街へ戻ってくる。だいたい60歳を過ぎた年齢になったいま、過去を振り返ってじぶんの人生と親友の人生の答えあわせがはじまる。
少年期、ヌードルスとマックスの出会いは爽やかですごくすきだ。そんなことで仲良くなるか?ともおもうけど、あの2人だからなるんだよ。
他にも店が繁盛していて金はあるモーと、チンピラ仲間3人。多少の価値観は違えど子ども。毎日チームワーク発揮で小銭稼ぎしていて、子どもならではと時代のせいかもしれないけど、好きになる女が同じだったり、同じ女で童貞を卒業したり、下のことまで共有できてしまう節操のない関係だったみたい。
小汚い子どもたちが、女を見るなり勃起してしまうような教養を一切与えられていないことがわかるシーンがいっぱいあった。
さらに言ってしまうと、青年になってもその辺りはあまり変わらないようで、友だちの目の前で女を犯すことだってできるからひどい。
話は戻って、ヌードルスたちの商売が繁盛してきたころには地域を仕切っていたバグジーに目をつけられ、チンピラ仲間ドミニクは偶然鉢合わせたバグジーに撃たれて死ぬ。激情してヌードルスは、バグジーに対しての憎しみが溢れ、ドミニクの仇討ちと、これから先、街でチームが安心して商売できるためにとバグジーを刺し殺す。バグジーだけなら免れたかもしれないけど、バグジーを刺し殺すところを見て駆けつけた警官も刺したために、ヌードルスは捕まる。
車で運ばれるヌードルスの表情は、さっきまでの街で大儲けしてやろう的な元気なあのヌードルスではなくて、あとは残ったおまえたちに任せたと言わんばかりの、ヌードルスだけがすべてを悟ったようなそんな風に見えた。
じぶんたちが無力なことを痛感し、きっとこれからも大勝ちすることはむつかしいと知っているようだった。
それからどのくらい経ったか、刑務所を出たヌードルスはマックスに迎えられて再び戻る。
禁酒法が施行されていた時代で、密かに酒を販売する事業が成功していたマックスたちと、さらに仕事をして稼いでたが、しかしそれも長くは続かず、禁酒法撤廃と同時にマックスが連邦準備銀行強盗の計画を立て、ヌードルスが危険すぎると判断してマックスを止めるために警察へリークする。
これ、ひとつひとつ思い返していたら映画もう一本分以上に時間がかかりそうだ。やめとこう。
3つの年代に分かれた時間軸が交差して映画が進んでいく。時間軸の切り替わりはちょっとした演出がされていて、こんな昔にオシャレなことするね〜て思ったりもした。
ギャング映画だけどタッチは軽くて非常にみやすい。少年期の小さくてもバイタリティーに溢れて日々強く生きてたヌードルたちと青年期のロバート・デ・ニーロのミステリアスな色気のせいなのかなー。長いのに飽きることなく見入った。
ヌードルスとマックスの、似ているようで相対していたふたりの男の人生を描いた映画だけど、あたし的には、時代のせいか素直に生きられなかったひとりの悲しい少年にスポットを当てた映画という印象が残ってる。
ラストのヌードルスの笑顔は、やっとバカみたいなギャング人生を終わらせることができたみたいな安堵か、親友たちを守るために裏切ったことへの安堵か、とにかく切なくて、同時に不気味だった。安堵だけではなく、ハイになることに頼らざるを得ない彼の失恋の痛みを我慢し続けたことの逃避にも見える。
彼は実はいちばん人間味があって、あの事件以来すべて内に隠すようになってしまった性格が、少しだけ解放されたような、、、そんな風に感じた。
ジェームズ・ウッズ
ジェームズ・ウッズのここまで若い時を見たのははじめて。今やなかなかのおじいちゃんだけど、いまでもセクシーな雰囲気があるのは、かつてこんな味の濃い映画に出ていたからだろう。
ちょっと失礼だけども、見た目からは損が多そうな役者、やっぱり昔から悪いやつか変態かの役が多かったのか(事実は知らない)。ジェームズ・ウッズの映画、どんどんみていこうと思います。