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2018.7.11

バトル・オブ・ザ・セクシーズ

バトル・オブ・ザ・セクシーズ
原題:BATTLE OF THE SEXES

ついこの間、7月6日から公開。ビリー・ジーン・キングという社会変革と平等を求めて活動してきたテニスプレーヤーの歴史的な試合を描いた映画。タイトルの「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」は、『性差を超えた戦い』という意味だそう。

一見、真っ黄色な映画のイメージと、スティーヴ・カレルの存在で超コメディの香りがするけど、ノーノー。中身は超マジメな伝記映画。

バトル・オブ・ザ・セクシーズの映画情報

原題 BATTLE OF THE SEXES
制作年 2018年 制作国 イギリス、アメリカ
上映時間 122分 ジャンル 伝記ドラマ
映倫 G
オフィシャルWeb http://www.foxmovies-jp.com/battleofthesexes/
監督 ヴァレリー・ファリス、ジョナサン・デイトン
キャスト

エマ・ストーン
スティーヴ・カレル
アンドレア・ライズブロー
サラ・シルヴァーマン
ビル・プルマン
アラン・カミング
エリザベス・シュー
ジャシカ・マクナミー
ナタリー・モラレス
エリック・クリスチャン・オルセン
ルイス・プルマン
マーサ・マックアイサック
ウォレス・ランガム
フレッド・アーミセン

バトル・オブ・ザ・セクシーズのネタバレを含む場合があります

以下「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」の感想・評価・レビューの内容は、ネタバレを含む場合があります。
バトル・オブ・ザ・セクシーズ」をまだご覧になられていない方は、十分にご注意ください。

バトル・オブ・ザ・セクシーズのあらすじ・ストーリー

全米女子テニスチャンピオンのビリー・ジーン・キング(エマ・ストーン)は、女子テニスの大会優勝賞金が男子テニスの1/8という事実に怒っていた。
男女平等であるべきだと反抗し、“女子テニス協会”を立ち上げ、タバコのスポンサーがつき女性だけのトーナメントも開催された。
そんなあるとき、ビリー・ジーンにかつての世界王者ボビー・リッグス(スティーヴ・カレル)から電話が入った。ボビーとビリー・ジーンの男女対決をしようという誘いだった。ビリー・ジーンはショーなんてしたくないと断り、ボビーはビリー・ジーンのライバルのマーガレット・コート(ジャシカ・マクナミー)に戦いを申し込んだ。
マーガレットは挑戦を受けたが完敗し、男は女に勝つことができない証明ができたと喜ぶボビーを見て、ビリー・ジーンは戦いを受けることを決意する…。

バトル・オブ・ザ・セクシーズの予告動画または関連動画

バトル・オブ・ザ・セクシーズをみた記録

1973年の時代、発端はテニスの賞金が男と女で大きな差があること。なぜ女は男よりも賞金が1/8なの?からはじまった。頭の固そうな男性からすると、生物学的な理由だと。肉体的に男が女に勝るわけがないと。女は重圧にも耐えられないと。
確かにカチンとくるのは理解できる。そもそも男が女に勝てるわけがないから賞金が少ないというのは理由になっていない。当時、チケット売上も男女変わらなかったみたいだし、女性側がピーピー言いたくなるのもよくわかる。

そんな時代を経た今日、女性を大事にしよう運動が長く長く続いているし、それでも男尊女卑がまかり通っている分野もあるだろうけど、女性が強いとか女性が社会進出とか、ふつうのことになっている時代しか知らない世代としてはピンときていない部分もあった。ピンときていないのは、まさに、かつて多くの女性たちが女性にも敬意を払ってほしいと訴え、活動してきたうえに成り立つ社会に生まれて生きているからだろう。

当然、命を張って訴えてきた女性たちには敬意を表したいが、と同時に女性の悪いクセみたなものが出てきて、これだけ男性が女性に優しい時代になったにもかかわらず、まだ求める女性の運動に反対の気持ちがある。かつての女性たちの涙ぐましい努力が、今の時代になってひん曲がってきているな、と思うんだ。

今の時代の女性はたしかに強くて、それに乗っかって要望も多い。しこたま女性を優遇していくことが美徳になって、紳士くらいの響きならまだしも、女性に受け入れられないとダメってのがスタンダードだ。だから男性は女性を相手にビジネスしたりすると苦労が多いはずだ。しかし逆に、女性を気持ちよくさせてしまえば、お金をたくさん落としてくれる傾向にもある。が、女性はなかなかドサッとはお金をつかわない側面もある。だから女性を掴み続けようというマーケティングやサービスが増えていって、提供する側はしんどい状況がずっとずっと延々続くわけだ。

1973年、40年以上前にこうやって活躍したひとたちがいてこその今だけど、もうちょっといい頃合いでストップしてくれたらよかったのにな、と実は思っていたりする。強すぎなんだよもはや女性が。本来隠し持っていた強さが今爆発中というイメージ。女性は多く言うし多く求めるし、多く生きる。だから女性を取り込まないといけないんだけど、女性らしさみたいなものは欠如しまくっている。

男女平等に金を稼げる時代になったのだから、もうこれ以上の過剰なサービスは要らない気がする。むしろ、これからは男性を優遇しないと絶滅してしまうかもしれない瀬戸際も遠くはないかもしれない。子どもを産む道具と思われていたかつての下劣な考えが、今は男性に向けられるようになるかもしれないんだ。
実際、男ってほんと頼りない、男なんていらない、男はバカ。と言われているけど、女性にやさしくしてきたのは今回のビリー・ジーンみたいなひとたちの活躍と、男性たちの大きな器のおかげだ。もっと昔に遡れば、1900年台前半に女性にも参政権をと訴えた女性たちの活躍が身を結んで、イギリス、アメリカで女性の参政権が認められたように、当時にも女性の活躍を応援した男性がいることも事実。なのに、女性は男性を排除しようとしている兆候があるのはおかしい。

ビリー・ジーンの活躍が語られるのはとても良いことだし、これからも残していくべきだと思うけど、ちょうどいいところをすっ飛ばして、ハチャメチャな女王様世界になってほしくない、ということを言いたかったのだけど、かなり脱線してしまったかな。

とはいえ、しっかりレディースデーの恩恵を受けて映画をみたあたしが言うのもアレだけど、マーケティング戦略に乗っただけの話だ。

個人的には、ビリー・ジーンよりもその夫ラリー・キングが印象に残っている。アスリートを支える夫、浮気妻を支える夫、いつも最後に器が大きいのは男性だよな、とこっそり思っていた。だって同性愛に目覚めたのは仕方ないにしても、女性を卑下するな!と活動している女性が、夫がいない隙に不貞をしているなんて。そして、それを理解して、気持ちを押し殺して、アスリートとしてテニスに打ち込めるように常に取り計らっていた夫、つまり男性がもっとも立派だと思ってみていたよ。男性の株が上がるような展開じゃない?

そしてもうひとり気になるのがボビー・リングス。
彼は本当はなにを考えていたんだろう。あの対決を発案した真の目的はなんだったのだろう。ただのふざけたジジイではなく、なにか考えがあってのことだったと思うけど、彼の心理描写は少なかったからぜんぜん知ることができなかったなー。どうしても、「女は寝室と台所にいればいい」が本心に聞こえなかったし。事実、妻プリシラがいないと生きていけないと理解していたわけで。
この映画はビリー・ジーンという女性が成したことを伝える映画なわけだけど、ボビー・リングスの功績も大きいように思えるけどね。実はビリー・ジーンを応援していたのかな。

さらにもうひとつ言うと、ビリー・ジーンにのしかかる重圧に焦点が置かれていたのか、資金もツテもない状況で立ち上げた女子テニス協会の奮闘はあまり描かれていなくて、実際にはそこだって大変な苦労があったと思うけど、割とアッサリというか、トントン拍子というか。
とてつもない苦労があった…というエピソードがあれば、彼女の最後の優勝は映画をみているあたしもドキュンときていたはずだ。
ラッキーも彼女の人徳と言われればそれまでだけど、若干、彼女たちは言うだけ言って、あとは波に乗っていただけだったようにも見える。とにかくがんばっていたのは、ビリー・ジーンを支持、支援していたグラディス(サラ・シルヴァーマン)じゃない?みたいな。

もやもやが晴れないので、また少し時間をおいてみてみようかな。